カラダからの手紙 - something to say -

PCOS(多嚢胞性卵巣症候群)、完治の記録。

4)PCOSと出会った日

都内某所、婦人科にて。

 

月経が来ないと説明。

ピルを飲んでいて止めたことも、その後一回は月経があったことも。

 

超音波で子宮と卵巣を見てもらう。

 

「これじゃ生理来ないわ」

 

ヨウコトウヨコ(仮名)医師が普通に言った。

いや正直、吐き捨てるように聞こえた。

 

写真に撮った卵巣で私はネックレスラインを見る。

小さな卵子がネックレスのように並ぶ。

卵子が大きくならず、排卵できない。

 

 

多嚢胞性卵巣、なじみのない病名に遭遇した。

 

だいたい嚢の字の画数がやたらむずかしく感じさせてくれる。

 

ーー

 

 

:どうすればいいんですか。

 

この後私は、ヨウコトウヨコ(仮名)医師の発言に仰天する。

 

ヨウコトウヨコ(仮名)医師子供産みたくなるまでピル飲んでればいいんじゃない。子供欲しくなったら不妊治療すれば。

 

 

・・・。

 

なんですと?

 

治す気がないんか・・・。

現代医療はこんななの?

 

もうピルは飲みたくない。

おかげで乳腺繊維線種になった。

 

そう言うと、

 

ヨウコトウヨコ(仮名)医師そんなんピルのせいじゃないから!あなたの体質!!

 

 

噴火!?

おおお、怒ってんの?

 

そうかもしれない。

 

婦人科において、ピルは自由診療の超売れ筋商品でしょ。

実際この都心にあるクリニックの患者は、ピルの処方のためにきている人が多い。私もその一人だったことがあるから見ていればわかる。

 

レディースクリニックはどこもそんななのかもしれないけど。

そのピルを素人が否定してくるなんて冗談じゃないよ、なのか。

 

とにかく、ヨウコトウヨコ(仮名)医師は、本当にこんな対応だった。

(*後に出てくる医師はもう少しちがう反応だったので、医師の反応という点で後ほどまた書きます。)

 

 

言うまでもないが、

ダメだ、こりゃ。。と悟る私。

 

意外と諦めるのは早い。他人に対しては。

だって、こういう方に変わっていただくのは無理である。

 

期待した私が悪かったのか。

たいていの病にも治療法があり、医師とはそれを示してくれるものではないのか・・・と思っていた。

 

ドクターショッピングって言葉あるよね~と浮かんだ。

 

のちに私は少しだけ考えを改めるところがあるのだが、この時点でヨウコトウヨコ(仮名)医師に対して、脳内では別の国の言葉で「地獄に落ちろ」と呟いていた。

 

ヨウコトウヨコ(仮名)医師のことをボコボコ?に書いています。こんな感じの発言はちょいちょい出てきますが、一番最後に私はヨウコトウヨコ(仮名)医師にもほんの少しだけ感謝している・・・という結末に向かいます。

 

 

そして、この日の帰宅後。

 

向きあったのは、パソコンだった。

 

 

ーー

*ここに書かれているのは個人的な意見・感想です。

 

3)PCOSと出会う前夜2

乳腺繊維線種が現れ、低用量ピルを止めるという選択を迫られた(イマココ)というところまで、前回書いた。

 

結果的に、低用量ピルは止めた。

少々悩んでいたら、めずらしく飲み忘れた・・・というのが真相だが、こんな形で止めるのも何かの思し召しと感じてそのまま止めた。

 

それから。

 

最後のピルによる消退出血のあと、約半月後に排卵前のおりものが大量に出た。5年近くピルを飲み続けていたとあっては、これも5年ぶりのこと。

 

ただ異常だと感じたのは、

 

それが赤かった・・・。

 

どっぷりと赤かった。

出血じゃないのと思われそうだが、感触的には完全におりもの。

 

そして、その後に月経がきた。

 

ところが、それを最後に月経は来なかった。

来そうな気配もなかった。

 

気になるのは、顔の吹き出物が止まらず。

これが一番悩んだ。

お世話になっている皮膚科で対応してもらう。抗生物質を飲んで一時的に治まったように見えても、油断ならない。

 

肌の調子がおかしいのは、月経がこないからだろう。

もう行く先は婦人科だ。

 

皮膚科の先生にはその後もいろいろ対応してもらったわけだが、いよいよ婦人科でPCOSに出会う話に移る。

 

 

 

 

2)PCOSと出会う前夜1

どうしてPCOSだとわかったか。

 

そもそも、当時の私は低用量ピルを飲んでいました。きっかけは、海に行く日の都合だったはずですが、「低用量ピルは女性が自主的にできる避妊法」などと謳われていた。今も、そうだろう。

 

消退出血は予定通りに来るので、その後もピルを飲み続けていた。

約5年が経過。

 

ある日、お風呂で軽くあかすりをしていると、左胸の内側、胸板との境くらいになにかが触れる。

 

しこり・・・?

 

一気にあかん気分になって、速攻で乳腺外科を予約。

「家庭の医学」を読みにけり、だいたいこれが何なのか当たりをつけた。

 

最悪で、癌?

 

癌ではなく、別のあるものだというのが自分での直観だったが、胸にできたしこりは最悪で癌だと思っている。

 

なので、乳がんの治療と治療法、何日仕事を休めばいけるのか(←発想が病的。)まで考えた。

 

その夜たまたま、台湾の友人から電話があった。

 

「明日検査。最悪で癌。

 その場合、紹介してもらう病院まで決めたから大丈夫」

 

この先走り先取り行動に友人は、「日本人てみんなそんななの?」と言った。

 

おそらく、そんなわけがない。

 

ーー

 

PCOSから外れているように感じるかもしれませんが、前置きの一部です。

 

乳腺外科で、触って触れるものがあると申告して、検査は保険診療

マンモグラフィーと超音波。

 

胸板との境なだけに、マンモには写らず、超音波では確認された。

 

15mm x 6 mm 

 

針ぶっさされて、生検へ。

 

1週間後、ソレが何だったのかを知る。

乳腺繊維線種

 

良性の繊維の塊り。

家庭の医学を読んであたりをつけたのは当たっていた。

 

これはどうしたらいいのか。

 

先生:基本的には何もしない。

:取ったりは?

先生:しない。

 

私が低用量ピル(マーベロン)を飲んでいることは伝えてあった。

 

先生マーベロンか・・・。5年以上飲むと乳がんになる確率あがるよ。

   線種はやめたら消えるよ。

 

ピルが乳がんになる確率を上げるのかどうかはここで論じる気はないが、これは先生の言葉の記録なのでそのまま書いておく。

 

私は、胸のしこりが乳腺繊維線種だったことには安堵しながら、今度は低用量ピルを止めるかどうかを悩みながらの帰路となった。

 

乳腺繊維線種の結果だけ先に書いてしまうと、消えた。

 

ピルを止めて、乳腺外科の検査は年1回。

乳腺繊維線種は小さくなっていき、2年後くらいには手で触れてわからなかった。ただ、超音波で見るとまだあった。

 

手で触れて見当たらない程度になったときには、心境的にとても良いということを感じた。

 

そして初診から6年。

乳腺繊維線種は跡形もなく消えた。

 

6年は思ったより長かった。

当初3年くらいで消えないかな?と勝手に期待していただけに。

 

それからも乳がん検診は受けているが問題があったことは一度もない。

1)はじめに ー PCOSが治った話

これは私が、PCOSを完治した記録です。

 

現在、「多嚢胞性卵巣症候群」とGoogleさまに聞くと、175万件が出てきます。

PCOS」と聞くと、1億700万件が出ます。

 

Googleさまの提案キーワードは、

pcos 妊娠率

pcos おりもの

pcos 治らない

pcos 治った

多嚢胞性卵巣症候群 お腹が出る

多嚢胞性卵巣症候群 妊娠

多嚢胞性卵巣症候群 ピル

多嚢胞性卵巣症候群 肥満

多嚢胞性卵巣症候群 痩せている

多嚢胞性卵巣症候群 治療

 

など。

 

私はPCOSと診断されるまでPCOSを知りませんでした。

そして私も、その日Google検索をしました。

 

その時の心境、

 

「なんで情報がナイのか!?」

 

情報があまりにも少なかった。

今も少ないように思います。

 

ここから私はPCOSを治す旅を始めます。それは長くて短い旅でした。

 

結果として、私はPCOSを治すことができました。

 

Googleさまの検索結果のアルゴリズムは、医学に関連することは専門家の書いたものを上位に表示されるようにしているそうです。(なので、病名で引くととても「普通」のことしか出てきませんね。)

 

なので、このブログが人の目に留まることはあまりないと思っています。

 

それでも。

 

治った人もいるよ、と知ってほしいのです。

 

ほかのPCOSを患っている人に効くのかどうかも分かりません。

一つの事例でしかありません。

個人的な感想の部分もあります。

それでも知りたい人はいるのではないか・・・?と思うのです。

 

PCOSに気付くまで。

これが病気である以上、治してやろうと思った理由。

誰が何を言ったのか。

何をしたのか。

 

そんなことを書いていきます。

 

 

キーワードを変えて検索しまくったあの日の私と同じように、治す方法を探そうとしている女性に、ひとつのヒントになればいいなという思いです。